暗黙知の共有による組織の知識創造 山崎裕次郎
暗黙知とは、経験によって獲得された、明示的に言葉で表現できない知識を指します。「人は語ることができるより多くのことを知ることができる」と指摘したハンガリーの哲学者のマイケル・ポランニーがこの概念を提唱しました。「ある人の顔を知っており、その顔を他の顔と区別して認知することができるが、その区別をどのように行なっているのかを語ることが出来ない」という認知能力や、泳ぎ方や自転車の漕ぎ方といった実践を通じることで獲得できる身体化された知識を指します。
暗黙知は、伝達可能な客観的で言語的な知識である形式知とよく対比されます。スタンバーグら(1992)は教えられる形式知だけでなく、暗黙知の形成が企業運営の効率化において重要な位置を占める点を指摘しています。企業内において、暗黙知が重要視されることから、暗黙知を活用する組織モデルが注目されます。特に効果的な組織経営アプローチとして暗黙知の形式知化を志向するSECIモデルが挙げられます (下図参照)。
このモデルは、Nonaka & Takeuchi (1995) が提唱した、ナレッジ・マネジメントの枠組みです。個人が持つ暗黙的な知識(暗黙知)は、経験を共有することで暗黙知を移転する「共同化」(Socialization)、暗黙知を言葉に表現して形式知とする「表出化」(Externalization)、個別の形式知を体系的な形式知へと創造する「連結化」(Combination)、形式知を自らのノウハウとして暗黙知の体得をする「内面化」(Internalization)という4つの変換プロセスを経ることで、集団や組織内で知識創造されていくと考えます。ポランニーも2人の人間がいるときに、一方が相手の生み出した知識をある程度体得できることを「dwell-in(潜入)」という言葉を用いて説いている(Polanyi 1966)。
野中・梅本(2001)では、SECIモデルの成功例をいくつか挙げています。一つの事例である、富士ゼロックスは、「全員設計」というコンセプトに基づき、SECIモデルの実践に取り組みました。まず、各工程の設計者と技術者が現場でのノウハウを獲得するために、互いの現場を訪問し合います(共同化)。そして、オンライン上の知識共有システムに自分たちの体験知や設計ノウハウといった現場知をインプットし(表出化)、その中で優れたものを特定し、形式知化された設計ノウハウを登録・共有します(連結化)。そして、この新しい体系的な形式知を、現場の状況に適応させながら、再び暗黙知として体得していきます(内面化)。この取り組みによって、最終段階での設計変更という課題を解決しました。
SECIモデルによる暗黙知から形式知への共有化と、ポランニーの「dwell-in」による暗黙知の転移において重要な点として、場の共有を指摘しています(野中・梅本 2001)。同じ場を長い時間共有することが暗黙知の共有においては必要条件となっており、離れた人の暗黙知の転移は困難であると言われています。この点は、現在の新型コロナウイルス蔓延によって改めて考えることが強いられています。感染拡大に伴い、場の共有が困難となった現在、リモートワークが広く普及されました。技術革新によって新しい労働形態が実現できた一方で、労働者が互いに離れたことで、今まで共有できた暗黙知が伝達困難となっています。さらに、リモートワークによる新たな労働形態の中で、その環境に対する暗黙知が新たに生成されている点も重要です。労働形態が変容し、しばらく時間が経過した現在、デジタル化へ適応したことに満足するのみならず、それに伴い変容した暗黙知を捉える新たな組織の知識創造アプローチを考察することも必要であると言えます。
References
- Nonaka, I. and Takeuchi, H. (1995). The knowledge-creating company. New York, Oxford: Oxford University Press.
- Polanyi, M. (1966) The tacit dimension. London: Routledge & Kegan Paul.
- Sternberg, R. J. & Wagner, R. K. (1992) Tacit knowledge: An unspoken key to managerial success. Creativity and Innovation Management 1 pp. 5-13
- 野中・梅本 (2001) 「知識管理から知識経営へ ーナレッジマネジメントの最新動向-」『人工知能学会誌』 16巻 1号 pp. 4-14.